EBI-8の温度を見ると,1994年頃から温度がしだいに低下する傾向が見られます.これはえびの高原の噴気活動がしだいに弱くなっていることに対応しています.よく見ると他の地点でもわずかですが,同様の傾向が見て取れます. ( 東京大学地震研究所ホームページより)
上記の記述にあるように1994年から噴気が弱くなっています。
大霧発電所が生産井7本掘削したのが1990年 大霧発電所の建設が始まったのが1994年 運転がはじまったのが1996年です。
昭和47年~63年 大霧発電所調査開始
企業調査井戸21本 国の調査井戸 15本 合計36本
総距離39563mの井戸を掘削
平成2年(1990)~平成3年
生産井戸7本 還元井戸7本掘削 平成3年12月3万KWの発電量決定
平成6年(1994) 大霧地熱発電所建設
平成8年3月(1996) 19本の井戸で大霧発電所運転開始
このようにたくさんの巨大な生産井戸が掘られて大霧発電所が始まりました。それ以後も3万kwを維持するために次々に井戸が掘られ続けています。現在26本(6本は休止)
そしてえびの高原は温泉も温泉蒸気も枯渇しました。
平成17年(2005)えびの高原露天風呂 廃業
平成15年8月30日 南日本新聞
「えびの高原名物ススキが見ごろ」
えびの市末永のえびの高原(標高1200m)で、名物、ススキが見ごろを迎え秋風に揺れている。かつて、草原全体のススキがエビ色に染まり「蝦野」と呼ばれるようになったと伝えられる地名の由来。近年、ススキのエビ色化が減少し、秋を彩る高原風景が様変わりしつつある。霧島が国立公園の指定を受けた1924年ころは、硫黄を採掘する硫黄山(同1310m)の硫黄ガスが立ち上るだけで、無人に近かった。開発が本格的に始まったのは52年ころから。ススキがエビ色に染まるのは硫黄山の火山ガスに含まれる硫黄の影響からといわれる。至る所から噴気を上げていた硫黄山は近年、山腹が冷え出したのか噴気の勢いが衰え、噴出場所も数えるほど。高原で十八年間、観光業務に携わっているえびの高原レストセンターの徳笑洋一店長(48)は「十五年ほど前まで高原一帯は独特な硫黄の臭気が漂い、色鮮やかなススキが目を奪っていた。変化を見せ始めたのはここ七、八年」という。
エビ色のススキが少なくなった高原。草原では緑の木々が目立つようになり、森への変遷途中なのかもしれない。